教育の生産性を高めたい。でも「一概には言えない」を忘れてはいけない

業務改善

働き方改革。

教育の生産性。

効率よく働くためのアイディア。

学校で働いていると、こうした言葉に何度も向き合うことがあります。

私自身も、少しでも現場をよくしたいという思いで、ずっと考え続けてきました。

今もその気持ちは変わりません。

学校現場は本当に忙しいです。

授業もある。校務もある。保護者対応もある。行事もある。子供対応もある。会議もある。書類もある。

毎日目の前のことに追われながら、「もう少し余裕があれば」と感じている先生も多いのではないでしょうか。

だからこそ、少しでも無駄を減らしたい。

誰か一人の頑張りに頼るのではなく、誰でも同じようにできる仕組みを作りたい。

自分がいなくても、学校がきちんと回るようにしたい。

そんな思いから、私はICTの推進や校務のDXに取り組んできました。

そして、その考え方自体は今でも大切だと思っています。

科学的根拠、再現性、生産性に納得していた

近年、多くの発信者や専門家が「科学的根拠」や「再現性」の大切さについて語っています。私自身も、その考え方に強く納得していました。

感覚や根性論ではなく、根拠のある方法を使う。

一部の名人だけができる方法ではなく、誰でも一定の成果を出せる方法を探す。

個人の力量だけに頼らず、仕組みとして再現できるようにする。

これは、教育現場にこそ必要な考え方だと思っていました。

実際、学校には「その先生だからできる」という仕事がたくさんあります。

あの先生だから学級がまとまる。

あの先生だから子供が落ち着く。

あの先生だから保護者対応がうまくいく。

もちろん、それは素晴らしい力です。

でも、その先生が異動したらどうなるのか。

休んだらどうなるのか。

経験の浅い先生は、同じようにできるのか。

そう考えると、誰でもある程度できる仕組みや、再現性のある方法を整えることは、やはり大切です。

ICTで授業の質を底上げできるのではないか

私は、ICTには大きな可能性があると思っています。

例えば、一流の授業をする先生の動画や、分かりやすい説明、効果的な教材を使えば、子供たちは質の高い学びに触れることができます。

教師一人ひとりの力量にすべてを任せるのではなく、よい教材やよい授業の型を共有していく。

子供たち自身が、それを使いながら学びを進める。

教師はその横で、必要な支援をしたり、問い返したり、その子に合わせた声かけをしたりする。

そういう使い方ができれば、ICTは単なる便利道具ではなく、教育の質を底上げするものになるのではないかと思っています。

もちろん、確信があるわけではありません。

でも、そこまで大きくずれているとも思っていません。

これから教員の数は減っていく可能性があります。

子供の数も減っていきます。

少子化が進む中で、日本という国をこれからどう維持していくのか。

子供たち一人ひとりが、どう自分の力で生きていくのか。

そこを考えたときに、やはり教育の質を高めることは避けて通れません。

そのために、ICTやDX、効率化、生産性という視点は必要です。

ただ、最近ふと立ち止まるきっかけがありました。

草薙龍瞬さんの言葉に、はっとした

皆さんは、草薙龍瞬さんをご存じでしょうか。

『反応しない練習』という本で知られている方です。

私が草薙さんに出会ったのも、その『反応しない練習』を読んだときでした。

当時、オーディオブックで何度も繰り返し聞いていました。

その考え方に、ずいぶん心を支えられました。

最近、『怒る技法』という著書を読んでいたときに、ブッダにまつわる話が紹介されていました。

ブッダは悟りを開いた存在として、多くの人から尊敬されていました。

一方で、当然ながらブッダをよく思わない人たちもいたそうです。

何とかしてブッダを困らせたい。

失敗させたい。

評判を落としたい。

そう考えた人たちが、ブッダの膝に小さな子供を抱かせた状態で、いろいろと問い詰める場面がありました。

もしブッダが大きな声を出したり、怒りをあらわにしたりすれば、子供は泣いてしまう。

そして、「ブッダが子供を泣かせた」と広めることができる。

そういう狙いがあったのだと思います。

でも、ブッダはそこで一言を返します。

その言葉が、今の私にはとても響きました。

「一概には言えない。状況による。」

その一言は、

「一概には言えない。状況による。」

というものでした。

当たり前と言えば、当たり前です。

でも、私はこの言葉にどこか救われるような気持ちになりました。

私たちはつい、正しい答えを求めます。

この方法がいい。

このルールを守るべきだ。

この指導が効果的だ。

この仕組みが効率的だ。

このやり方なら再現性がある。

そう考えたくなります。

もちろん、それ自体は悪いことではありません。

むしろ、忙しい現場だからこそ、よりよい方法を探したくなるのは自然なことです。

ただ、現実はいつも同じではありません。

同じ子供でも、昨日と今日では状態が違います。

同じ授業でも、クラスの空気が違います。

同じ声かけでも、うまく届く日と届かない日があります。

同じルールでも、その場の状況によって意味が変わることがあります。

教師をしていると、「昨日はうまくいったのに今日はうまくいかない」という経験を何度もします。

だからこそ、本当はいつも、

「一概には言えない」

「状況による」

という余白を残しておく必要があるのだと思います。

学校のルールも、授業の正解も、いつも同じとは限らない

例えば、授業中は静かに座って話を聞く。

発言するときは手を挙げる。

友達の意見を最後まで聞く。

これは、学校の中ではとても大切な基本です。

王道中の王道です。

でも、それがいつでも絶対かと言われると、やはり「一概には言えない」のだと思います。

子供たちにも、その日その日の状態があります。

朝、家庭で何かあったかもしれない。

登校中に友達とトラブルがあったかもしれない。

体調が悪いのかもしれない。

眠れていないのかもしれない。

何か不安を抱えているのかもしれない。

教師側にも同じことがあります。

心に余裕がある日もあれば、ない日もあります。

同じ出来事でも、受け止められる日と、受け止めきれない日があります。

昨日は笑って流せたことが、今日はどうしても許せないこともあります。

それが人間です。

学校は、毎日同じ時間割で動いているように見えます。

でも、そこにいる人間は、毎日まったく同じではありません。

そう考えると、目の前の誰かがうまくできない日があっても、少しだけ優しくなれる気がします。

データ上は正しくても、その瞬間に合うとは限らない

これは、支援や指導にも言えることだと思います。

十分に考えた指導案。

丁寧に練った授業案。

データ上、その子に必要だと考えられる支援。

そうしたものは、とても大切です。

教師の経験や勘だけで進めるのではなく、根拠をもって考えることは必要です。

でも、それでもなお、その瞬間にその支援が有効かどうかは、やってみなければ分からない部分があります。

昨日なら入った言葉が、今日は入らない。

普段ならできる課題が、今日はできない。

いつもなら喜ぶ活動に、今日は乗ってこない。

反対に、予定していなかった声かけが、その子にぴたりとはまることもあります。

教育に携わる方なら、きっと思い当たる場面があるのではないでしょうか。

だから、データや理論を持ちながらも、目の前の子供を見ることをやめてはいけないのだと思います。

生産性だけを追い求めると、柔軟性を失う危険がある

ここで私が少し怖いと思ったのは、効率化や生産性を追い求めすぎると、柔軟性が失われる危険があるということです。

この方法が一番効率的だから。

この仕組みに乗せれば早いから。

このルールで統一した方が楽だから。

このやり方が再現性が高いから。

そう考えることは、確かに必要です。

でも、それがいつの間にか、

「だから、全員がこの通りにするべきだ」

「この方法以外はよくない」

「このルールに当てはまらない子が悪い」

という方向に進んでしまうと、教育の本質から離れてしまう気がします。

教育は、人間を相手にする仕事です。

人間は、いつも同じではありません。

子供も、教師も、保護者も、日々変化しています。

だからこそ、効率化と同じくらい、柔軟性が必要なのだと思います。

働き方改革は必要。でも、それがすべてではない

誤解されたくないのですが、私は働き方改革やICT活用、DXを否定したいわけではありません。

むしろ、これからも必要だと思っています。

学校現場の無駄は減らした方がいい。

先生たちが疲弊しすぎない仕組みは必要です。

誰か一人の犠牲で成り立つ学校は、長続きしません。

属人的な仕事を減らし、誰でも回せる仕組みを作ることは、これからますます大切になります。

ただ、それがすべてではない。

ここを忘れてはいけないのだと思います。

効率化は、目的ではなく手段です。

生産性を高めることも、目的ではなく手段です。

本当の目的は、子供たちがよりよく学び、よりよく育つことです。

教師が心身を壊さず、持続可能に働けることです。

その目的のために、ICTもDXも働き方改革もあるはずです。

「絶対にこれが正しい」と思いすぎない

今回、私が一番考えさせられたのは、自分が正しいと思っていたことへの力の入りすぎです。

こうあるべき。

こうした方がいい。

こうしてほしい。

この方法が正しい。

そう思うことはあります。

でも、その思いが強くなりすぎると、目の前の状況が見えなくなることがあります。

子供の状態。

同僚の事情。

学校全体の空気。

家庭の背景。

自分自身の余裕のなさ。

そういったものを見落としたまま、正しさだけを押し通してしまうことがあるのかもしれません。

振り返れば、私自身にもそんな場面があったように思います。

だからこそ、

「一概には言えない」

「状況による」

という言葉を、自分の中に置いておきたいと思いました。

仕組みを作ることと、人を見ることは両立できる

これからの教育には、仕組みが必要です。

ICTも必要です。

DXも必要です。

再現性のある指導も必要です。

誰でも使える教材や、共有できる授業の型も必要です。

でも同時に、目の前の子供を見ることも必要です。

今日はその子にとって何が必要なのか。

今、この場で何を優先するべきなのか。

予定通り進めるべきなのか。

少し立ち止まるべきなのか。

ルールを守らせる場面なのか。

一度受け止める場面なのか。

そこを考えるのが、教師の仕事なのだと思います。

機械にできることは、機械に任せる。

仕組みにできることは、仕組みにする。

でも、人間にしかできない判断や関わりは、人間が大切にする。

そのバランスが、これからの学校には必要なのではないでしょうか。

教育の生産性とは、速く終わらせることだけではない

教育の生産性という言葉を考えるとき、つい「短い時間で多くのことをこなす」という方向に意識が向きます。

もちろん、それも大切です。

でも教育における生産性は、単に速く終わらせることだけではないと思います。

子供が自分で考えられるようになる。

教師が疲れ果てずに、子供と向き合える。

学校全体が、無理なく続く仕組みになる。

必要なところに、必要な時間とエネルギーを使えるようになる。

それが、本当の意味での教育の生産性なのかもしれません。

効率化によって生まれた時間を、何に使うのか。

そこが大切です。

ただ仕事を増やすためではなく、子供を見るために使う。

ただ新しいことを入れるためではなく、教師が息をするために使う。

ただ管理しやすくするためではなく、よりよい学びを作るために使う。

そう考えたいのです。

おわりに

働き方改革も、ICT活用も、教育の生産性も、これからの学校には必要です。

でも、それだけを追い求めると、大切なものを見落としてしまうことがあります。

教育は、人間を相手にする仕事です。

だから、いつも同じ答えが通用するとは限りません。

一概には言えない。

状況による。

この言葉は、逃げではなく、むしろ人を大切にしようとする姿勢なのだと思います。

正しさを持つこと。

根拠を持つこと。

仕組みを作ること。

その上で、目の前の子供や状況に合わせて柔軟に考えること。

これからの教師に必要なのは、効率化を進める力と、効率化だけでは割り切れないものを大切にする力の両方なのかもしれません。

もし今、忙しさの中で悩んでいる先生がいるなら、「一概には言えない」という言葉を少しだけ心に置いてみてもいいのかもしれません。

私自身も、まだ答えが出ているわけではありません。

でも、今はこう思っています。

教育の生産性を高めたい。

働き方改革も進めたい。

ICTももっと活用したい。

でも同時に、

「一概には言えない」

「状況による」

という余白を、教師として手放さずにいたいのです。

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